結論:PRDでは「Must/Should/Won’t」を最初に決め、議論の土俵を固定します。
スプリントの後半ほど、会議で“良さそうなアイデア”が出てきます。便利そう、ついでにできそう、顧客にも喜ばれそう——どれも前向きな提案です。しかし、こうした加点方式の意思決定は、Aha(価値実感)に達するまでの時間=TTV、とりわけp95(遅い層)を静かに押し伸ばします。スコープの線が曖昧なまま進むと、合意のやり直しが増え、結果的に学習の速度が落ちます。だから先に線を引くのです。
なぜ線引きが必要なのか:善意が積もると時間が濁る
「あと少し」や「念のため」は、短期では小さな要求に見えます。ただ、積み重なると視点が分散し、Mustの焦点が滲みます。スコープ票をPRDの冒頭に置くと、提案は常に既定の枠に照らして評価されます。余計な水掛け論を避けられるうえ、Aha→TTV→D1の学習ループが守られます。
ストーリー:線が無い2週間と、線を引いた翌スプリント
初回登録の体験改善に取り組んだときの話です。Ahaは「チーム作成完了」、TTV目標はp50=3分/p95=7分。3日目のレビューで、営業からは「住所自動補完」、CSからは「ヘルプ常時表示」、開発からは「テーブルリファクタ」の提案が並びました。どれも妥当です。けれど、結論が出ないまま全体が遅れ、p95が伸び、リリースは延期になりました。
次のスプリントはやり方を変えました。PRDの先頭に「Must/Should/Won’t」を太字で固定し、提案は「どの指標に、どれくらい効くのか」を示したものだけ再審するルールに。会議ではまず目的と成功指標を音読し、スコープ票の読み合わせから始めたところ、議論は短く、施策は濃くなりました。結果として、Aha到達率は+6pt、p95は目標内に収まりました。
定義の軸:Must/Should/Won’tをどう切り分けるか
名称だけ決めても運用は安定しません。判定の軸を明文化しましょう。
- Must:今回のAha達成に直接寄与し、TTV(特にp95)を縮める可能性が高い。
- Should:価値はあるが、Aha直結度が弱い/代替策がある/次期に回しても学習が劣化しない。
- Won’t:今回は扱わない。理由と再審予定を明記して期待管理を行う。
この切り分けにより、「やりたい」ではなく「効くか」で話せます。
スコープ票テンプレ(PRDに貼り付けて使う)
【スコープ定義票 v1.1】
目的:____(誰の/どの課題を/なぜ今)
成功指標:Aha=__/TTV p50=__分 p95=__分/D1=__%
Must(Aha直結・TTV短縮):
- 例:初回登録を2ステップ化(必須項目3つ削減)
- 例:完了トースト実装(Ahaイベントの確実な発火)
Should(価値はあるが代替や時期ズレあり):
- 例:住所自動補完(視覚的な項目削減で代替可能)
Won’t(今回は扱わない・理由と再審日を明記):
- 例:SSO対応(初期コホートのAhaに非直結。次期:10/XX週に再審)
- 例:テーブル全面リファクタ(性能課題は閾値内。部分対応で回避)
変更ルール:
- 変更は「Aha到達率/TTV p95」に対する期待効果(数値)を伴う提案のみ審議
- 週次冒頭5分で再審。採択時はPRDをv+0.1で更新
具体例を丁寧に読む:判断の“行間”まで解説
例1:住所自動補完(Should判定)
営業の主張は「入力の手間が減り、受注率が上がる」。一見もっともですが、ログを細かく見ると、離脱の山は「住所欄」そのものではなく、「項目が多く見える初見の負担」に集中していました。
つまり「視覚的に項目が多い」という印象が先に離脱を招いている。であれば、まず効くのは自動補完よりも項目の削減と段階化です。視覚負荷が下がれば、ユーザーは入力に踏み出しやすくなる。ここで自動補完をMustに入れると工数が先行し、TTV p95の短縮が遅れるリスクが高まります。したがって本件はShould。次期に「視覚負荷×入力負荷」の両面で検証します。
例2:SSO対応(Won’t判定)
情シスの観点では合理的です。ただ、今回のAhaは「小さなチームを素早く立ち上げる」こと。SSOは導入フローに外部調整を追加し、初動の時間を延ばしがちです。初期コホートの価値は「開始の速さ」。ここを犠牲にすると、Aha到達までの坂が急になります。
よって、今回はWon’t。再審予定日は明記し、導入後のD1や運用負荷の見込みをデータで用意してもらう段取りにします。提案を“断る”のではなく、“順番を入れ替える”だけです。
例3:完了トースト実装(Must判定)
地味ですが、Ahaの観測精度を底上げします。Ahaイベントの確実な発火は、翌日のダッシュボードを“信じて議論できる状態”にする土台です。ここが曖昧だと、数値のブレを巡って感覚論に戻り、会議の時間が溶けます。小さな投資で学習速度を守れるため、迷わずMustに入れます。
会議運用:スコープを“守る言い回し”と段取り
運用は言葉で決まります。次の手順と台本をそのまま使ってください。
- 冒頭3分:PRDの「目的」「成功指標(Aha/TTV p50・p95/D1)」を音読。
- 次の7分:スコープ票を読み合わせ。変更提案は「どのKPIを、どれだけ動かす前提か」を添付。
- 判断の口癖:「その提案でp95は何分縮まりますか?」
- 記録:Won’tには理由と再審日。議事録はPRDの下に一元化。
- 締めの2分:採択ならPRDをv+0.1で更新し、全員に通知。
優先度づけの補助線:RICEは“スコープ内”で使う
RICEを採点表として使うと、加点合戦から抜けられます。ただし、RICEはスコープの外枠を越える理由にはしないことが大切です。
- Reach:対象セグメントの母数(Aha到達率に効くか)
- Impact:TTV p50/p95の短縮期待(p95の加点を厚めに)
- Confidence:裏づけ(ログ/インタビュー/β検証)
- Effort:人日(高EffortはWon’tに入りやすい)
再審の基準:いつ線を動かしてよいか
例外があるから組織は動けます。境界だけは最初に決めておきましょう。
【再審トリガ(いずれかで発動)】
- Aha到達率:前週比 -10pt 以上
- TTV p95:目標 +20% を2日連続で超過
- 法的/セキュリティ要件の新規発生(緊急度High)
- 主要セグメントの行動変化(例:モバイル比率の急伸)
【原則】
- 提案は対象KPIと期待効果を数値で必ず添付
- Mustの代替案は歓迎(Aha直結度/p95短縮が同等以上)
“見える化”の運用:紙の合意を数字の合意へ
ダッシュボードにスコープの意図を埋め込みます。PRDに構成を書いておくと、毎朝の確認が迷いません。これは、会議での再説明を減らし、判断にかける時間を削るためです。
- タイル1:Aha到達率(昨日/7日移動平均)
- タイル2:TTV p50・p95(警告:p95 > 目標+20%)
- タイル3:離脱トップ3(エラー/待機)
- タイル4:Won’t一覧(理由と再審日)
よくある落とし穴:ラベルは決めたが運用が続かない
名札だけ貼ると、数日で形骸化します。続けるコツは「台本」と「場所」です。台本=毎回同じ問いで始めること(p95は何分縮む?)。場所=PRDを“唯一の真実”にして更新履歴を残すこと。これだけで、スコープ運用は長持ちします。
Aha→TTV→翌日活性の順で見ると意思決定が速くなります。詳しくはKPI設計と運用ガイドへ。
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FAQ
- Q. 現場の“善意の改善”をどう断れば角が立たない?
- A. KPIを主語にします。「今回の目的に照らすと、p95を何分縮められる見込みですか?」と聞けば、提案の再設計か次期送りのどちらかに自然に分かれます。
- Q. Won’tに入れると士気が下がりませんか?
- A. 理由と再審日をセットで公開します。順番を変えているだけだと伝われば、信頼は保てます。
- Q. スコープ変更が頻発します。
- A. 再審トリガを事前に固定してください。境界線が曖昧だと、毎回ゼロベース交渉になり速度が落ちます。
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